徒然なるままに

子育てとプログラミングが同居する不思議な空間

コードレビューの記事を読んで

コードレビューについて書いた記事を読んだので感じたことを書いてみる。

私自身もレビューアーとして振る舞うことは多い。私の場合は古い SIer なので、Java だったり、いまだに Subversion だったりする。

ここではコードレビューそのものについて書くのではなく、コードレビューの負の側面にフォーカスを当てて書きたい。自戒の念を込めて。

コードレビューがいじめみたいになる?

上記の記事でも書いてあったとおり、コードレビューを何度やっても同じ指摘をもらう人がいる。1度に何十もの指摘をもらう人もいる。

コードレビューの指摘って「あなたは間違っています」というのが大半なので、正論を振りかざしているのと変わらない。正論は人を傷つけるいつだって。それが何度も同じ指摘をもらったり、何十もの指摘になったりすれば、いじめみたいに「見える」かもしれない。もちろん実際にいじめているわけではないけどね。

私としては、たくさん指摘するといじめているように思えるのは、レビューイーとコミュニケーションをあまりとっていないからではないかと思う。信頼関係が築けていれば、たとえ何度指摘しても「いじめ」に見えることはないはず。受け取る側もネガティブな印象は受けないはず。

どこかに書いてあったけど、飲みニケーションがすべてを解決するかもしれない。

レビュー記録は本当にすべて必要か?

マネージャーや QA はレビュー記録をきちんと取って集計して、今後のプロジェクトに生かしていきたいと考えると思う。でも私たち現場の人間にはレビュー記録が後々必要になる場合はほとんどないように感じる。

あまり大きな声では言えないが、何度も指摘しなければならなくてどうしてもつらい状況になったら、レビュー記録にこだわらず、直接その人と会話すればいいと思う*1。全部レビュー指摘として挙げる前に、こういう観点でもう1度コードを見直してみてねって伝えてあげて、そっと差し戻すこともできるはずだ。一緒にコードを書いてみてもいいかもしれない。相手のモチベーションがあがれば、もっといい状況が生まれる。

レビューアーは完璧な仕事をいきなりやろうとすると、指摘が多いほどストレスもたまるし、ストレスがたまると指摘の書き方が悪くなる。こういうときは、ぐっと我慢して公開処刑にならないように努める。

負の感情はコミュニケーションが解決する

と私は考えている。

*1:リモートでどうしても会話できないっていう場合はあるかもしれないけど。